神でも仏でも

 お米は舌を食い切っても爺の膝を抱くのは、厭《いや》と冠《かぶり》をふり廻すと申すこと。それは私も同一《おんなじ》だけれども、罪のないものが何を恐《こわ》がって、煩うということがあるものか。済まないというのは一体どんな事と、すかしても、口説いても、それは問わないで下さいましと、強いていえば震えます、...

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気を揉《も》んで揉抜いた揚句

       十六

「それも、行《ゆ》こうか行くまいかと、気を揉《も》んで揉抜いた揚句、どうも堪《たま》らなくなりまして思切って伺いましたので。 心からでございましょう、誰の挨拶もけんもほろろに聞えましたけれども、それはもうお米に疑《うたがい》がかかったなんぞとは、※[#「口+愛」、第3水準1-...

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次のお座敷

(変じゃあないか、女房《おかみ》さん、それはまたどうした訳だろう、)(それが御祈祷をした仁右衛門爺さんの奇特でございます。沢井様でも誰も地震などと思った方はないのでして、ただ草を刈っておりました私の目にばかりお居間の揺れるのが見えたのでございます。大方神様がお寄んなすった験《しるし》なんでございま...

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