実に此男の下等な偽悪趣味であつた

 裕佐が此版画家に対して何よりも嫌に思ひ、それがために友に飢ゑてゐ乍らもさう繁々と訪ねて深くつき合ふ気にどうもなれなかつたのは実に此男の下等な偽悪趣味であつた。 人の心持ちを何でも下等に浅薄に解釈して独り見抜いたやうな得意の薄笑ひを浮べ、人がそれに不快を感じて何かヘコマすやうな事を云ふと誰も呶鳴《どな》りもしないのに「まあさ、さう呶鳴らんでも」と云つて笑ふ。笑へば必ず故意の冷笑である。いかなる場合にも冷笑することが人生で最も優越な事であると思ふ事にしてゐるらしい此男は、人情として笑ふ事が必ず不可能である場合にも必ず意識してヘラ/\と笑ふ、何がそんなにをかしいのかと訊けば「何もかもをかしいのだ。自分自身も可笑しいのだ」と答へて又笑ふ。無論決して本当にをかしいのではない。只をかしがる事が好きなのである。をかしがつてゐたいのである。そして又をかしがり度いために凡て人生一般の対象物をその冷嘲の的となる下賤な階級迄引きずり降ろさずにはおかないのだから相手が不快がるのは無理はない。そして相手が苛立てば苛立つほど彼はます/\その犬儒主義を享楽する上に満足を感じて、相手が何でそんなに苛立つのか合点が行かぬやうな顔をして冷静にかまへるのみである。それが彼の「勝利」なのだ。 併し、今彼のくだ/\しい毒舌を聞いた者は、彼の冷かな犬儒趣味が決して単なる彼の興味から出るものではない事を容易《たやす》く見抜き得たであらう。表面氷の如く見える彼の自己冷嘲の奥には苛立たしい刺があり、ひねくれた者の弱い火があつた。その火は彼の裏切つて蒼ざめた顔をぽつと赭くしてゐた。「しかしとに角君は画家ですよ。僕は画家ではない。」「夜鷹」と云ふやうな言葉をつかふ孫四郎の興味に例の厭気を催しながらもその上気した顔を見ると何となく気の毒のやうな気がして、裕佐はかう云つた。「低いなりにもな。ハ、ハ。わしは之丈けの絵商人さ。何と云つたつて。併しおぬしなぞは生れから云つてもわしなぞとは仕事の訳がちがはなけれやならん。それにまだ若いし――あせる事はないさ。些《すこ》しも。」 何の親切気もない調子でかう云ふと彼は長い立て膝を抱へ乍らその冷却した顔を又横に向けた。「此間の又兵衛張りの人物画はどうした。面白く行きさうだつたが。」「駄目だ。ふむ。」

— posted by id at 02:25 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.1605 sec.

http://nespo.info/