その笑ひ声の下品さ

 むしろ好んで皮肉を衒《てら》ふやうなその歪んだ口許《くちもと》に深い皺を寄せ乍らにや/\と傲《ほこ》りがに裕佐の顔を見てゐた孫四郎はかう云つて高く笑ひ出した。「傑作ですね。版にしたら又一しほ面白いでせう。」 その笑ひ声の下品さに嫌気を感じ乍らも裕佐はかうほめざるを得なかつた。「あの虎は君が画くと面白からうと僕も思つてゐたんです。」「へ、へ。中々見逃しやせぬよ。」と孫四郎は又雁首に煙草をつめながら、「往来にさらしてある見世物に『大入』はをかしいが、そこがかう云ふ愛嬌ぢやでな。」かう云つて又笑つた。たしかに齢よりは十位|老《ふ》けて見えるがその実漸く四十になつた許りの此絵師は当時長崎きつての唯一の版画師であつた。 実の処裕佐は口に出してほめた上に内心感服――むしろ驚いてゐたのであつた。「実際変な奴だ」と彼は思ふのだつた。人間としては猶ほ更の事、画家としての孫四郎にも彼は決して飽き足りてはゐなかつた。孫四郎は趣味のみに生き、自分は趣味のみに生きる事は出来ない。趣味のみに生き得る孫四郎の趣味はどうしても偏頗《へんぱ》で局部的であり深みがない。自分はよし趣味によつて絵筆を執り、鑿《のみ》を把《と》る事があるとも、その趣味はいつしか消えて見えなくなり、それに代つて全身の心が現はれ、直ちに万人の心をピタリと打つ底の生ける魂が儼《げん》として作品を支配しきる処迄行かなくては気がすまない。 孫四郎の画くものが現に面白い事は否定出来なかつた。唯「面白い」と云ふ丈けにすぎぬ芸術は所詮二流以上のものではあり得ないと裕佐は思つてゐた。併しその一流の境を求める自分はまだその俤《おもかげ》の窺《うかゞ》はれる仕事すらしてをらぬのに、孫四郎はとも角その「面白い」自家の一道を既に掴まへてゐる。「山田長政」や「虎」の絵にはその「掴んだ」と云ふ感じが顕著に出てゐる。そして彼はその狭い道の上で傍眼《わきめ》もふらずにめき/\と進みつゝある。孫四郎の到底了解し能はぬ底の傑作にも広く共鳴を感じ得る自分は、まだその広汎な理解と燃えたぎる深い内心の欲求とを寸分も生かして居らぬのに孫四郎はとも角その卑俗な趣味の偏狭に徹底して、それを自家の製作の上に生かし、悠々自適してゐる。かくて裕佐はその先輩に飽き足らぬ乍らも一方羨ましく思ひ、その「面白さ」さへもない自己の仕事を顧みて淋しく感ぜずにはゐられなかつた。「どうも僕は少しいろんなものに引かれすぎるのかな。」

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