高き天を頂いて

 正に大審院に、高き天を頂いて、国家の法を裁すべき判事は、よく堪えてお幾の物語の、一部始終を聞き果てたが、渠《かれ》は実際、事の本末《もとすえ》を、冷《ひやや》かに判ずるよりも、お米が身に関する故をもって、むしろ情において激せざるを得なかったから、言下《ごんか》に打出して事理を決する答をば、与え得ないで、「都を少しでも放れると、怪《け》しからん話があるな、婆さん。」とばかり吐息《といき》とともにいったのであるが、言外おのずからその明眸《めいぼう》の届くべき大審院の椅子の周囲、西北《さいほく》三里以内に、かかる不平を差置くに忍びざる意気があって露《あらわ》れた。「どうぞまあ、何は措《お》きましてともかくもう一服遊ばして下さいまし、お茶も冷えてしまいました。決してあの、唯今のことにつきましておねだり申しますのではございません、これからは茶店を預ります商売|冥利《みょうり》、精一杯の御馳走《ごちそう》、きざ柿でも剥《む》いて差上げましょう。生の栗がございますが、お米が達者でいて今日も遊びに参りましたら、灰に埋《うず》んで、あの器用な手で綺麗にこしらえさして上げましょうものを。……どうぞ、唯今お熱いお湯を。旦那様お寒くなりはしませんか。」 今は物思いに沈んで、一秒《いっセコンド》の間に、婆が長物語りを三たび四たび、つむじ風のごとく疾《と》く、颯《さっ》と繰返して、うっかりしていた判事は、心着けられて、フト身に沁む外《と》の方《かた》を、欄干|越《ごし》に打見遣《うちみや》った。 黄昏《たそがれ》や、早や黄昏は森の中からその色を浴びせかけて、滝を蔽《おお》える下道を、黒白《あやめ》に紛るる女の姿、縁《えにし》の糸に引寄せられけむ、裾も袂《たもと》も鬢《びん》の毛も、夕《ゆうべ》の風に漂う風情。

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