判事は口早にいって

 と少し言渋りながら、「跟《つ》けつ廻しつしているのでございます。」と思切った風でいったのである。「何、お米を、あれが、」と判事は口早にいって、膝を立てた。「いいえ、あの、これと定ったこともございません、ございませんようなものの、ふらふら堀ノ内様の近辺、五宿あたり、夜更《よふけ》でも行きあたりばったりにうろついて、この辺へはめったに寄りつきませなんだのが、沢井様へお米が参りまして、ここでもまた、容色《きりょう》が評判になりました時分から、藪《やぶ》からでも垣からでも、ひょいと出ちゃああの女《こ》の行《ゆ》くさきを跟《つ》けるのでございます。薄ぼんやりどこにかあの爺が立ってるのを見つけましたものが、もしその歩き出しますのを待っておりますれば、きっとお米の姿が道に見えると申したようなわけでございまして。」

       十三

「おなじ奉公人どもが、たださえ口の悪い処へ、大事|出来《しゅったい》のように言い囃《はや》して、からかい半分、お米さんは神様のお気に入った、いまに緋《ひ》の袴《はかま》をお穿《は》きだよ、なんてね。 まさかに気があろうなどとは、怪我にも思うのじゃございますまいが、串戯《じょうだん》をいわれるばかりでも、癩病《かったい》の呼吸《いき》を吹懸《ふっか》けられますように、あの女《こ》も弱り切っておりましたそうですが。 つい事の起ります少し前でございました、沢井様の裏庭に夕顔の花が咲いた時分だと申しますから、まだ浴衣を着ておりますほどのこと。 急ぎの仕立物がございましたかして、お米が裏庭に向きました部屋で針仕事をしていたのでございます。 まだ明《あかり》も点《つ》けません、晩方、直《じ》きその夕顔の咲いております垣根のわきがあらい格子。手許《てもと》が暗くなりましたので、袖が触りますばかりに、格子の処へ寄って、縫物をしておりますと、外は見通しの畠、畦道《あぜみち》を馬も百姓も、往《い》ったり、来たりします処、どこで見当をつけましたものか、あの爺《じじい》のそのそ嗅《か》ぎつけて参りましてね、蚊遣《かやり》の煙がどことなく立ち渡ります中を、段々近くへ寄って来て、格子へつかまって例の通り、鼻の下へつッかい棒の杖をついて休みながら、ぬっとあのふやけ[#「ふやけ」に傍点]た色づいて薄赤い、てらてらする鼻の尖《さき》を突き出して、お米の横顔の処を嗅ぎ出したのでございますと。

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