そのお金が五百円

「そのお金が五百円、その晩お手箪笥《てだんす》の抽斗《ひきだし》から出してお使いなさろうとするとすっかり紛失をしていたのでございます、」と句切って、判事の顔を見て婆さんは溜息《ためいき》を吐《つ》いたが、小山も驚いたのである。 赤羽|停車場《ステエション》の婆さんの挙動と金貨を頂かせた奥方の所為《しわざ》とは不言不語《いわずかたらず》の内に線を引いてそれがお米の身に結ばれるというような事でもあるだろうと、聞きながら推したに、五百円が失《う》せたというのは思いがけない極《きわみ》であった。「ええ、すっかり紛失?」と判事も屹《きっ》と目を瞠《みは》ったが、この人々はその意気において、五という数《すう》が、百となって、円とあるのに慌てるような風ではない。「まあどうしたというのでございますか、抽斗にお了《しま》いなすったのは私《わたくし》もその時見ておりましたのに、こりゃ聞いてさえ吃驚《びっくり》いたしますものお邸では大騒ぎ。女などは髪切《かみきれ》の化物が飛び込んだように上を下、くるくる舞うやらぶつかるやら、お米なども蒼くなって飛んで参って、私にその話をして行きましたっけ。 さあ二日|経《た》っても三日経っても解りますまい、貴夫人とも謂われるものが、内からも外からも自分の家のことに就いて罪人は出したくないとおっしゃって、表沙汰にはなりませんが、とにかく、不取締でございますから、旦那に申訳がないとのことで大層御心配、お見舞に伺いまする出入のものに、纔《わずか》ばかりだけれども纔ばかりだけれどもと念をお入れなすっちゃあ、その御吹聴《ごふいちょう》で。 そういたしますとね、日頃お出入の大八百屋の亭主で佐助と申しまして、平生は奉公人大勢に荷を担がせて廻らせて、自分は帳場に坐っていて四ツ谷切って手広く行《や》っておりまするのが、わざわざお邸へ出て参りまして、奥様に勧めました。さあこれが旦那様、目黒、堀ノ内、渋谷、大久保、この目黒|辺《あたり》をかけて徘徊《はいかい》をいたします、真夜中には誰とも知らず空のものと談話《はなし》をしますという、鼻の大きな、爺《じじい》の化精《ばけもの》でございまして。」

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